学生体験談

・2008年度    ・2009年度

・2010年度






国際交流体験記(2009年度)

 香川大学教育学部では大学間交流協定をコロラド州立大学(USA)と南ボヘミア大学(チェコ),学部間協定を,誠信女子大学校(韓国)清州大学校(韓国),クライストチャーチ総合技術大学(ニュージーランド),江西師範大学(中国)のそれぞれの大学と結び,活発に交流を進めてきました。2008年度,2009年度,松楠会奨学生としてコロラド州立大学からRobert Mitchellさんと,Audrey Rudolphさんが来高し,香川大学教育学部で勉強しています。平成21年6月13日に松楠会総会で二人がスピーチを行った際の原稿を寄せてもらいました。




この香川大学教育学部松楠会にお招きくださってありがとうございます。私はオードリ・ルドルフと申します。現在はコロラド州立大学で国際学を勉強しています。コロラド州立大学のあるフォートコリンズ市はコロラド州に北にあります。フォートコリンズ市は,人口134,000人位の小さい市です。夏の間にほとんどの大学生はフォートコリンズをでます。このときフォートコリンズの人口は最低です。でも,秋学期の初めにフォートコリンズはにぎやかになります。大学生の平均的な人口は25,000人ぐらいです。フォートコリンズ市は全米で人口あたりのレストラン数が多いことでも有名です。コロラド州はロッキー山脈の麓にあるのでたくさんのビール醸造所があります。特にフォートコリンズ市の地ビールのニューベルギービールは有名です。ニューベルギービールは,ミシシッピー川の西側のほとんどの州で売られています。香川県と同様にコロラド州は降水量の少ないところです。ですからコロラドでは360度青くて澄んだ空を見ることのできる日があります。フォートコリンズ市は,海抜1500メートルくらいの所にあるので冬の寒さは厳しく夏は暑くなります。しかし,とても湿度が低いので夏の夜はかなり涼しくてすがすがしいです。コロラド州は高地なので空気が希薄です。世界中の至る所から運動選手が来ます。運動選手は空気が希薄な場所で訓練すると肺活量が増えるからです。
私は子供のころから、他の国や文化や言語にとても興味がありました。そして世界中を旅したいという夢がありました。私はコロラドの南東の地域で生まれ育ちました。コロラドは野外や農地、牧草地がある所です。地平線を見た時はいつでも、地平線の向こうには何があるのかと疑問を持ちました。そして、子供のころから私は本が大好きでした。本や雑誌、写真を見ることで、外国の様子を想像し、私はさらにいっそう、外国へ旅行したいという気持ちになりました。
三年前、日本語を勉強し始めました。日本語を勉強するにつれて、日本の文化や歴史に、特に興味がわきました。日本に行って、直接文化に触れたいと思っていましたが、お金が足りずなかなか行けませんでした。このような同窓会の奨学金のお話を聞いて、とてもうれしく思い、応募させていただきました。香川大学教育学部松楠会の皆様のおかげで、私は今日本にいます。私は教育学部で日本人の学生と一緒に書道や,歴史の勉強をしたり,4人でチームを組んで学校教育の勉強をしたりしています。たくさんの日本人の友達ができました。私は今留学生会館にすんでいます。台湾人と韓国人と中国人とマレーシア人とフィリピン人とイラン人とジンバブエ人とドイツ人とフランス人の友達ができました。友達と直島や男木島へ行ったり、海の中で遊んだり、おいしい日本料理を食べたり、博物館やお城や庭園を見学したりしました。来週は最初の附属高松小学校の訪問です。小学校では4年生の子どもたちに英語の歌を教えたり体を動かして遊んだりするつもりです。本当に楽しみにしています。私は、高松での時間を徹底的に楽しんでいます。8月にコロラドに戻る予定ですがきっと高松は私にとって懐かしいところになると思います。世界は何という驚くべき場所でしょう。 旅行するときはいつも、1つは異なったレンズを通して世界を見ることができます。 また、旅行で、私たちは、2つの場所の間には、いくつの文化の相違があっても人々が世界中で同じであることを知ることができます。 私たちは皆、人間であることのきずなを共有します。 私たちは皆、家族と友人と時間を過ごすのを好みます。 私たちが皆、仕事か学校に行って、私たちには皆、夢と希望があって、私たちは皆、笑って、泣いて、生きています。他のたくさんの人々が将来この経験を楽しむことができるように、コロラドと香川県との関係がもっともっと成長することを願っています。 日本に関して本やメディアで学ぶのは直接それを経験するのと同じではありません。 ただ,この場所に来ることによって、人は日本の多くの異なった複雑な部分を知ることができます。
コロラドの田舎から出てきた只の女の子にすぎない私にとって、これはすごい機会です。心の底から、この地域を経験させていただき感謝しております。ありがとうございます。


                 フォートコリンズ市にあるニューベルギービールの醸造所

            
             コロラド州立大学                Horsetooth







香川大学教育学部の同窓会の皆様、香川大学の先生方、同学生の皆様、こんにちは。初めまして。自己紹介させていただきます。私はロバート・ミッチェルと申します。コロラド州立大学から来ました。大学では国際学を専攻しています。香川大学には、アメリカ人の学生は珍しいので、私の名前はすぐ覚えられると思います。
日本に来る前、私は三年間ぐらい日本語を勉強しました。勉強し始めたときは、「わっ!日本語の文法は英語ととても異なっているねぇ」や「えっ!漢字をそんなに読めるようにならなればならないのか?」というのが私の第一印象でした。初めてアメリカ人が日本語を勉強することは自身を苦しめることみたいでした。よく「どうして日本語を勉強することにしたのですか」と聞かれます。その質問はとても答えにくいです。もし、最初の両生類に「どうして海から歩いてきたの」と聞けば、その原始的なカエルの返答は私の返答にかなり似ているでしょう。私の日本に関する興味は、カエルの足のように、進化の結果です。
私が生まれる以前から、私のおばあちゃんとおじいちゃんはよく海外旅行に出かけていました。私が子どものときには、二人はいつも冒険に出かけたり、様々な国々のお土産を持ってきてくれたり、冒険の伝説的な物語を語ったり、外国語の短い文章を教えてくれたりしました。おばあさんの外国語の才能はすばらしいです。フランス語や中国語を含め、おばあちゃんは7言語も簡単な会話ができるのです。おじいちゃんとおばあちゃんは特にアジアが好きでした。ベトナム、タイ、シンガポール、カンボジアなどに少し滞在したことや、中国やフィリピンにも住んでいたことがあります。おばあさん達がくれたお土産の中で私が特に大切にしていたものはフィリピンのピナツボ火山の1989の噴火の火山灰で、小さなガラス瓶に入れてあります。その小瓶が本当に大好きでした。その小瓶を見ていると世界はとても大きいということを感じました。それを手に持つと、世界中を想像することができました。そんなおばあさんとおじいさんのおかげで、私は世界旅人の卵になりました。
14歳のとき、マットという4歳ほど年上の幼なじみが日本に留学をしました。帰ってくると、本州での滞在の様子について話してくれたり、すばらしい景色やおいしそうな食べ物の写真を見せたりしてくれました。私は昔からマットの影響を強く受けていたので、そんな彼の話を聞いていくと、以前より日本がとても気になるようになりました。私は「日本に行きたい!」と思ってから、漫画や日本の歴史などに関する本をたくさん読みました。黒澤明、宮崎駿などの映画も見ました。新聞を読むときには、日本事情についての記事を探しました。もっともっと日本のことについて知りたかったのです。日本は将来の目的地になりました。幼なじみのマットのおかげで旅人が卵からふか孵化しました。
私がコロラド州立大学に入学したとき、演劇学部の先生と4年生が歌舞伎風の芝居を稽古していました。それは有名なシェークスピアの芝居、「マクベス」という芝居を日本語に訳したものです。公演は12月の予定でした。私は興奮して、必ずその芝居を見に行くことにしました。それはとてもすばらしかったです。当時私の専攻は演劇でしたが、1年間すぎた後、演劇の勉強を続けることと、専攻を変えることにまよっていました。キャラクターを演じると、人生の苦いところも甘いところも味わえるけれど、舞台に出ることは人生の大きな役にはならないのではと考えたのです。大学一年生の間、日本語を勉強している友人たちができました。その友人たちに強く日本語を学習することを勧められたので日本語を学ぶことにしました。友人たちのおかげで、旅に出たいオタマジャクシの脚は、成長してきました。
日本について勉強していく中で今までに私が習ってきたことの例は、日本語を学ぶことは国語を学ぶことだけでなく、人間と自然の関係の勉強です。日本人は挨拶をするとき、初めに天気についての会話をします。また、天気についての単語は多く、日本の皆さんは雨を説明するために、千個もの言葉を知っているらしいです。建物にもこの自然愛は反映されています。学校の教室には、風や太陽の光がずっととおっています。講義を聞きながら、鳥や虫の鳴き声も聞こえます。環境を守るために、ごみは厳しく分別されています。私はこういう自然愛が好きになってきました。日本に少し住んでみると、なるほど日本の生活は自然のずっと近くに住める生活だと思いました。
現在までわずか3週間しかすぎていないのに、色々な日本文化の経験ができ、香川大学生とも同留学生とも仲良くできています。この間に屋島の山頂や直島、男木島にピクニックなどに行きました。もちろんさぬきうどんも食べたので、今まで香川県をとても楽しんでいます。私の生活がこう続くと、教育学部同窓会の皆様の母校は私には第2の故郷のようになります。昔の日本に行く夢は現実になりました。でもまだ今も日本に少し住んでいるのに、たまにまだ夢を見ている気がするときがあります。香川教育学部同窓会の皆様のおかげで、旅に出たかったカエルは池から出られました。このような奨学金をいただけ、とても感謝しています。コロラドの州立大学の皆は、香川大学の皆さまに会えるのをとても楽しみにしております。私はコロラドに帰る時、楽しい思い出、友人の気持ち、また、できるなら、おいしいうどんのレシピを持って帰ろうと思います。皆様、このような経験をさせていただき、誠にありがとうございます。
原始的なカエルに「どうして海から歩いてきたの?」と、問うように、私に「どうして日本語を勉強することにしたの?」と聞かれれば、私はこう答えるでしょう。「楽しそうだったからです。」と。ご清聴、ありがとうございました。

      
     サンポート高松にて                   研究室のみんなと