◆◇◆◇◆◇⇒《研究室遍路》
「分かり合えない」ここちよさ ―アートは人生を緩めてくれる?―
・・・・・日野 陽子
美術は元々、作品をつくったりそれを見たりする人個々のあり方によって、面白
さや美しさ等の価値観が異なる--つまり、答えが無いものです。とりわけ、近現代
の美術作品を見て「わからない」「受け入れられない」と感じたことがある人は多
いのではないでしょうか。そのような掴み所の無いものが義務教育課程に教科とし
て据えられていること、また、多くの大人が美術とは無関係な日常を送るようにな
る実状は、一般に美術がもたらすと考えられがちな豊かな文化とは遠く、矛盾にあ
ふれているようにも見えます。
私は、2002年に京都で「ミュージアム・アクセス・ビュー(以下ビュー)」
という市民グループが設立されてから7〜8年来その活動に参加を続け、この矛盾
の中に希望を見出しました。ビューでは、目が見えない人と見える人を募って美術
館やギャラリーで鑑賞をしたり、表現ワークショップを行ったりしています。ビュ
ーで推進している鑑賞法は言葉のコミュニケーションを柱にしています。これまで、
日本の美術館の視覚障害者対応の殆どは、触れることのできる立体作品を中心とし
た内容でした。しかし、ビューでは触れることを主とせず、また、美術史的な知識
情報にも頼らないで、自由に対話しながら鑑賞を深める方法を続けています。見え
ない人1名・見える人2名のグループに分かれ、見える人が大まかに作品の視覚的
な情報(大きさやタイトル等)を伝えた後は、各々が自分にとってどのように見え、
感じられるかを話し合います。見える人が見えない人のためにガイドや説明をする
のではなく、各々が自分の言葉で語り、対等にイメージを創造していくのです。最
初の数年間は、見える参加者の「自信をもって話せない」という戸惑いもありまし
た。しかし、見える人同士であっても、同じ作品を見ながら分かり合えないことが
あります。見える人が言葉に詰まった時、見えない人からヒントをもらうことも少
なくありません。違いを受け入れ平らかな意識になれば、自信をもって思いを伝え
ることは難しくありません。
元々ビューは、視覚障害者の嘆きや訴えを聞いて立ち上がった団体ではなく、「
何が起きるのか見当もつかないが面白そうだ」という流れで始まっています。見え
る人によるガイド(支援)の意味合いは薄く、むしろアートという土俵の上でコミ
ュニケーションを通して障害の有無による関係性が消えていく楽しみを味わいたい
人が増えてくるようになりました。一昨年はエイブル・アート・ジャパン(旧・日
本障害者芸術文化協会)と富士ゼロックスの主催で、ビューと同様の活動を継続し
ている東京・福岡の市民グループと、関心を持つ私達研究者、美術館関係者が集い、
この鑑賞法について2泊3日間議論を続けました。昨年は、大阪大学CSCDの哲
学カフェとビューの共同で、1枚の絵を約30名で2時間かけて語り合う「ミルト
ーク」という試みも行われました。
ビューでは数年前、新しい参加者のために「4つの‘しない’ルール」をつくり
ました。それは、「静かに見ない」、「見える人は一方的な説明をしない」、「見
えない人は聞き役に専念しない」、そして「全てを分かり合おうとしない」ことで
す。分かり合えないとは、重要なことです。美術は、このように個が際だった営み
によって、障害だけでなく、性別、国や人種など多様な違いを伴う人と関わること
の大切さを示す可能性を持っています。これは、アートの社会的な意義が生まれつ
つある一つの姿ではないかと期待しています。
◆日野先生のプロフィールを大学フォト内に掲載していますので、ご覧ください。
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